ルワンダについて思い出の写真からご紹介していきます。
ルワンダへは2017年10月に行きました。訪れた街は首都Kigaliと学術都市Huyeの2都市です。言語はルワンダ語と英語、通貨はルワンダ・フランです。
1994年4月ハビヤリマナ大統領暗殺がきっかけで「ルワンダ大虐殺」が始まりました。その歴史があって今がある。世界でも類を見ない国がルワンダです。
現地通貨への換金
換金するとこのくらいの札束できます。そこまでの大金を換金したわけではなく、小分けでこの量です。お金持ちになった気分でした。
日用品を求めて
アフリカでよくあるタイプのローカルマーケット。地面は整地されておりゴミが落ちていません。売り場には屋根が設置されているところが多く整備されている市場でした。
ルワンダで買ったシャツは今でも着ていて、すごいお気に入りです。アフリカっぽいデザインのシャツは多く売られています。
バイクのニケツ
道路はバイクが多く走っていて、二人乗りしているのはバイク便。タイとかでもある、バイクのタクシー。これがかなり便利だった。
キガリは24時間営業のスーパーマーケットが丘の上に聳えていて、歩いて登っていくより圧倒的に楽だった。
Huyeとか地方都市になると自転車便になる。日本の田舎でよく見かける古いタイプの自転車が現役なことは驚きだった。
自然とできる長蛇の列
夕方になろうとすると、行列が至るところにできてくる。みんな首都キガリに出稼ぎに来ているので、帰りのバス待ちになる。
まっすぐ列になって並んでいるので、気性は荒くない大人しい国民性がわかる。似ている国はマダガスカルもそう。
それにしても長い列だ、どこまで延びているのだろうか。
障害者支援施設で働く日本人
一番はじめに泊まった宿泊施設”ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト”、こちらはNGOです。
ワンラブは無償で義肢装具を製作・配布するための義肢製作所・職業訓練校・レストラン・ゲストハウスなどを建設しているようです。
歴史上の舞台
分かりづらいですが、『Hotel Rwanda』の舞台になったとされるホテル”Hôtel des Mille Collines”。1泊US$180程度。
外は塀や木々で囲まれており、中の様子を伺うことは難しかったです。外から見る限り、新しさを感じました。建物は頑丈そうです。思ったより小さく見えたのですが、どのように匿ったかは想像できません。
実は多額のお金を集金していた人のみ匿った、とかいろいろな噂が跡を絶ちませんが、それでも多くの人命を護ったことは称賛に値します。
歴史を未来へ遺す
こちらは対象が写ってないのですが、この道の奥に行くと”Murambi Genocide Memorial Centre”があります。言わずと知れたRwandan Genocideが起きた現場の保持と事件の内容を展示する会館があります。
惨劇な歴史を目の当たりにできます。これは事実です。ミイラも管理されており、目の前にすると言葉にできません。
生まれ変わった施策
ルワンダはIT大国として生まれ変わっています。ここはとある学校。
パソコンが授業に組み込まれていることがわかります。
この写真はかなり好きで、中央の学生が地味にピースしてくれているところがなんとも茶目っ気があり面白いです。
国を支える産業
Huyeでは”Huye Mountain Coffee”の農園ツアーを催行しています。
コーヒー豆の発見から、どうやって育てて、どう加工するか、コーヒー豆を出荷するまでのすべての工程を見ることができます。
ルワンダで飲むコーヒーは美味しかったです。ミルクもあるので、ストレートというよりはカフェラテやカプチーノで飲むことが多かったです。
コーヒー豆に恋い焦がれ
Huyeに移住したスイス人が開いた喫茶店。業務用の焙煎機は大きすぎるし、店内は広いのに席数がほとんどないことから、自由気ままに商売をしていると思われる。
オーナーは写真にいる方。バリスタは女性が立っていた。
生ビール
飲めるところは少なかったですが、一部生ビールがありました。アフリカのクソ暑いところで飲むビールは最高です。
テラス席になっていて、通行く人たちを眺めてのんびりしていました。
いつも食べてたローカルフード
アフリカっぽく、味っ気が薄いパスタ、ポテト、水分っ毛が少なく細長い白米、豆にスープのバイキング形式。
ルワンダはコーヒーやカフェ、アイスに生ビールと、食べ物のレパートリーはアフリカの中で多いです。