旅、というやりたさと自分へのキャップ

「世界を旅して暮らしたい」——そんな欲求が、ふとした瞬間に湧き上がってくる。何かに触れたとき、誰かの生き方を見たとき、あるいは心が少し疲れて現実から離れたくなったとき。きっと、心のどこかではずっとそう思っているのかもしれない。

本当は、

自分は世界を歩いて回りたいと思っている。

それもただの観光旅行じゃなく、旅を通じて稼ぎ、旅を通じていろんな土地に還元し、最終的には自分の事業を興す、そんな旅。自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の感性で動いて生きていく、そんな旅のスタイルに憧れている。

でも現実は

過去に行った場所にもう一度足を運ぶことしか考えられない自分がいる。
懐かしさを頼りに、「またあの人に会えたらいいな」と思うくらいで、新しい土地に一歩踏み出す勇気が出ない。気づけば、安全で確実な方ばかりを選んでいる。

なぜ自分には

できないと感じてしまうのか。

世界が「近くなった」ことが、逆にプレッシャーになっているようにも思う。インターネットのおかげで、今やあらゆる人の旅の記録が、しかも無料で、タイムラインに次々と流れてくる。すごいやつ、突飛なやつ、いかれたやつ。そんな人たちが日々、海の向こうで生きている姿を目にする。

昔は

本を読むことでしか、遠くの世界を知る方法はなかった。

本は一冊一冊に重みがあり、自分のペースで受け取ることができた。けれど今は、あまりに多くの人の人生を一気に見られてしまう。それが「知る」ことの暴力にもなり得る気がしている。

その結果、

無意識に「自分には無理だ」と蓋をしてしまっているのかもしれない。

あまりにすごい人たちを見すぎて、自分にはそんなことはできないと決めつけてしまう。やりたい気持ちはある。でも、その気持ちと自分の現実とのギャップに、立ち止まってしまっている。

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